正々堂々の大俳優の王者 三船敏郎

渡辺謙、真田広之、浅野忠信、菊地凛子と海外、ハリウッドで活躍する俳優、女優は数多くいる。

しかし、その中において今尚、鮮烈な光彩を放ち続ける俳優がいる。

今年でこの世を去って20年となる三船敏郎だ。(1997年12月24日 満77歳没)

1920年4月1日に生まれた三船敏郎は満洲国・公主嶺の陸軍第七航空隊に配属され、過酷な時を過ごす。

声の大きさは昔からだったみたいで、上官から声が大きいというだけで顔の形が変形するほどぶん殴られたという。

死ぬような思いをして、終戦を迎えたという。

1945年に撮影助手で東宝の面接を受けたが、その強烈な存在感により、俳優となったという。

その堂々たる存在感とただならぬ気配は、黒澤明やその師匠である山本嘉次郎監督の目に止まったという。

1948年(昭和23年)自身としてデビュー3作目となった黒澤明の「酔いどれ天使」では三船敏郎は結核患者を演じ、そのギラギラとした眼差しと存在感により、三船敏郎は一躍スターに登りつめた。

この作品から黒澤明とコンビを組んでいくことになる。

「静かなる決闘」刑事役を演じた「野良犬」と強烈な存在感を示してきた三船敏郎。

1950年(昭和25年)に公開された「羅生門」が1951年にヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞したことで、三船敏郎の名が世界に轟き渡った。

1954年に公開された「七人の侍」では破天荒なキャラクターである菊千代(きくちよ)を演じた。

七人の侍の中で唯一侍ではなく百姓である菊千代は、破天荒なキャラクターである反面、人情深い一面を持っている。

中でも名シーンの一つが、七人の侍たちが死して野武士の猛攻から守ろうとしてきた百姓たちが実は落ち武者狩りによって武器や鎧またお酒などを手にしてことを知った、侍たちは百姓たちに怒りを覚える。

そんな侍たちに菊千代は叫ぶ。
「やい、お前達、一体百姓をなんだと思ってたんだ?
仏様とでも思ってたか ああ?
笑わしちゃいけねえや。百姓ぐらい悪ずれした生き物はねんだぜ。
米出せって言や、無え。麦出せって言や、無え。何もかも無えって言うんだ。
ふん、ところがあるんだ。何だってあるんだ。
床板ひっぺがして掘ってみな。そこに無かったら納屋の隅だ。
出てくる、出てくる、瓶に入った米、塩、豆、酒。
山と山の間へ行ってみろ。そこには隠し田だあ。
正直面して、ペコペコ頭下げて嘘をつく。なんでもごまかす。
どっかに戦でもありゃ、すぐ竹槍作って落武者狩りだい。
よく聞きな。百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだあ。
ちくしょう。おかしくって涙が出らあ。
だがな、こんなケダモノ作りやがったのは一体誰だ?
おめえ達だよ。侍だってんだよ。
ばかやろう。ちくしょう。
戦のためには村あ焼く、田畑踏ん潰す、食い物は取り上げる、人夫にはこき使う、女あさる、手向や殺す。
一体百姓はどうすりゃいいんだ。百姓はどうすりゃいいんだよ。くそー。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」

劇中では当時の録音の関係と早すぎて何を言ってるかわからないというところもあるが、この感情を剥き出しにした叫びは強烈に心に残る。

また、七人の侍の撮影は過酷を極め、なんと最後の雨の決闘シーンは真冬の中で雨を降らせて行ったということで、監督の黒澤明自身、足の爪が死んでしまったという。

兵隊として体力をつけてきた三船敏郎でさえ撮影後、入院をしているほどだ。

次の年公開された「生きものの記録」では米ソの原水爆実験に怯え、日本が巻き込まれると恐怖し、日本からブラジルに移住しようと叫ぶ老人を演じた。
当時、35歳であったが、見事なメイクと演技で演じきっていた。

1957年に公開された「蜘蛛巣城」では何十本という本物の矢から逃げ惑うという命をかけた演技をし、更に、1958年に公開された「隠し砦の三悪人」では馬に乗りながら両手放しで刀を手に疾走する馬に乗って戦うという、スタント無しCGを使わずとんでもないアクションを披露した。

そして三船敏郎また侍というものを世界に轟かせた作品が、1961年に公開された「用心棒」またその続編として1962年に公開された「椿三十郎」だ。

用心棒自体がそれまでの時代劇を覆した作品となった。

西部劇的な要素を取り入れ、この作風が世界で大ヒットし、クリント・イーストウッドが主演を務めた「荒野の用心棒」(1965年)となってリメイクされた。

この三船敏郎が演じた三十郎!!!(用心棒では桑畑三十郎!)

その刀さばき、アクションが半端ない!

そのスピードたるや世界の映画史に燦然と残るスピードを誇るという。

用心棒のラストシーンでは、1人で10人近くの敵に向かっていく。

その際、仲代達矢が演じた卯之助はピストルを保持している。

その卯之助がピストルを撃つのスピード以上の速さで包丁を右腕に突き刺す。
それにより、狙いが外れ、その隙をついて、ものすごいスピードで向かっていき、10人近くをばったばったと切り裂いていく。
まさに瞬殺であった。

更に、椿三十郎では31人の敵を相手に約35秒で瞬殺しました。

そしてこの映画で最大の話題となった仲代達矢演じる室戸半兵衛との一騎打ち!!

1分30秒の沈黙を超え、ものすごい速さで刀を繰り出す三十郎の刀さばきで室戸の命を奪う。

この時の、スピードはなんと0.3秒!!

カメラのフイルムでも正確に捉えきれていないようだ。

その後「天国と地獄」(1963年)を経て、1965年に公開された「赤ひげ」では厳然とした山の如き人物を演じた。

この作品が黒澤明作品に出演した最後の作品となった。

世界でも三船敏郎の人気は凄まじいもので、1971年に公開した「レッドサン」など16作品もの海外の作品に出演している。

また、黒澤明の大ファンで知られる、ジョージ・ルーカスはある映画に出演するよう三船敏郎にオファーを送っている。

それは「スターウォーズ」だった。

しかも、その役はダースベイターだったという話である。
(もし実現していれば、エピソード1以降のアナキンの配役は日本人になったことだろう)

今では、渡辺謙、真田広之、浅野忠信、菊地凛子など海外で活躍する日本人俳優はいるが、ここまで世界に影響を与えた俳優はいないのではないだろうか。

その象徴とも言えるのが、2016年11月14日、ハリウッドの殿堂入りを果たしたのだ。

ハリウッド殿堂入りで日本関連としては俳優の早川雪洲さん、そしてゴジラがある。

その中において、こうして日本人俳優が厳然と世界の映画史に名を残したのだ。

現代の俳優で、三船敏郎にかなう俳優は果たしているのであろうか。

2007年に「椿三十郎」森田芳光がメガホンを取りリメイクした。

脚本はそのまま、オリジナル(菊島隆三/小国英雄/黒澤明)のものを用いた。

椿三十郎を務めたのは織田裕二だったが、三船敏郎の演じた三十郎には足元にも及ばなかった。

三船敏郎のあのギラギラとした眼光から放たれる目力と迫力ある声。

また、ある世界の桂冠詩人がハワイの地で三船敏郎を激励した際、「三船さん。何があっても正々堂々と進んで下さい」との言葉を贈った。

「正々堂々」のこの言葉に象徴される三船敏郎の力強い演技は今でも燦然と輝きを放っている。

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